

ミナト式鼻病薬
当時の広告
現在の
ミナトシキ液
明治21年、湊病院の創始者 湊謙一が、注射薬として開発した「神液」(後の「湊液」→ミナト式液)をさらに研究・開発を重ね、大正14年に「湊式噴霧器」と「神液」をセットにして鼻病薬として世に送り出しました。これが当社の始まりです。
「湊式鼻病薬」は、順調に業績を重ねるとともに、「只野凡児」をキャラクターとして、鼻病に苦しむ方々に貢献してまいりました。昭和20年の戦災により中断し、翌年の昭和21年より製造・販売を開始、現社名「ミナト製薬株式会社」に社名を変更しました。
昭和46年、健康食品業界に参入し、製薬技術を生かした栄養食品「ローヤルゼリーミナト」を開発、上市しました。昭和52年、本社を東京に移転。業界の先駆者として、クロレラ、カルトップ500、活き活き100億ビフィズス菌、玄米くろ酢、あしたば粒など続々と上市し、創業110周年を迎え「大麦若葉の青汁」「減肥くわ青汁」を発表し、「青汁」市場を牽引しています。
現在も青汁関連の製品をはじめ、健康食品や健康関連食品を手掛け、「健康」をテーマとした社会貢献に努めています。
| 明治21年 (西暦1888年) | 湊謙一(創業者)が水性薬剤と油性薬剤を混合した薬を発明、「神液」と命名。 後に「湊液」と改名。現「ミナトシキ液」のルーツとなる。 |
|---|---|
| 大正14年 | 湊病院(兵庫県明石市)に製剤部を設置。 |
| 昭和3年 | 製剤部門の拡大により、やむなく病院を閉鎖。湊製薬所として発足。 |
| 昭和8年 | 韓国に京城支店を開設、戦前に閉鎖。 |
| 昭和10年 | 中国大陸に大連支店を開設、戦前に閉鎖。 |
| 昭和14年 6月 | 資本金18万円をもって株式会社湊製薬所を設立。本格的に製造販売を開始。 |
| 昭和18年 7月 | 戦時企業整備により株式会社湊製薬所を解散。兵庫県の統合会社中の一企業体として新に資本金19万8千円をもって殉国製薬株式会社を設立し、ミナト式鼻病薬の製造販売を継続。 |
| 昭和21年 7月 | 明石本社工場を新築し製造を再開、社名をミナト製薬株式会社に変更した。 |
| 昭和28年 10月 | 本社を大阪市に移転。 |
| 昭和29年 9月 | 資本金を350万円に増資、社名をミナト医科学工業株式会社に変更。 |
| 昭和32年 5月 | 社名を再びミナト製薬株式会社に変更、電気部門はミナト医科学株式会社として新発足。 |
| 昭和42年 12月 | 鉄筋コンクリート3階建新社屋完成。 |
| 昭和46年 2月 | 栄養食品ローヤルゼリーミナトを新開発。 (株)ミナトヘルスフーズを設立し製造販売を委譲。 |
| 昭和49年 4月 | 大阪江坂工場完成。 |
| 昭和52年 12月 | 本社を東京都に移転。 |
| 昭和53年 3月 | 栄養食品、化粧品製造メーカーである(株)ミナトヘルスフーズを吸収合併し資本金を4,100万円に増資。 |
| 昭和53年 9月 | 栃木県黒磯市に那須工場(医薬品GMP工場)完成。 |
| 昭和55年 11月 | 西日本の医薬品営業部門を担当する、ミナト製薬大阪販売株式会社を設立。 |
| 昭和56年 2月 | 東日本の医薬品営業部門を担当する、ミナト製薬東京販売株式会社を設立。 |
| 昭和59年 11月 | 資本金を5,000万円に増資。 |
| 平成2年 11月 | 栄養食品、化粧品等の販売会社エムエスケー東日本を設立。 |
| 平成11年 6月 | ミナト製薬東京販売株式会社を統合し、東日本の医薬品営業業務を継承。 |
| 平成14年 12月 | ISO9001:2000取得。 |
| 平成15年 9月 | 農事部を新設し、那須工場隣接の試験農場で有機農法の研究開始。 |
| 平成16年 2月 | 株式会社ミナトオーガニックファームを設立し、有機農法による原料の生産にも着手。 |
| 平成17年 3月 | 那須工場管理棟竣工。 |
| 平成17年 8月 | 那須工場有機認定取得。 |
| 平成19年 6月 | ミナト製薬大阪販売株式会社を統合し、ミナト製薬株式会社大阪支店として西日本の営業を継承。 |
| 平成22年 2月 | ISO9001:2008に移行。 |
| 平成22年 3月 | (財)日本健康栄養・食品協会 健康補助食品GMP認定取得。 新素材カワラケツメイ生産開始。 |









